佳作 海を守れ

堺市立 中百舌鳥中学校 3年 天野 勇冴

 海はなぜ、汚れるのか。過去に何度も廃棄物を海に捨て、水質汚濁が社会問題となった日本。最近では、環境保全の声をあげる者が増え、徐々にこの問題は解決に向かおうとしている。しかし、多くの人々が望む社会の近未来化がこれを邪魔していた。
 僕は小さいころからずっと釣りが好きで、これまでに何度も海で釣りをしてきた。ただ、釣りに行くたびに思う。「海が汚い。」僕は大阪に住んでいるため、釣りをしに行くのは大阪の漁港や堤防が多いが、たまに、和歌山の方に釣りをしに行くことがある。すると僕の経験上では、和歌山の海にはほとんどごみが浮いていないのだ。大阪と和歌山、そう距離は離れていない。では、何が違うのか。僕は、人口と自然に着目した。
 大阪は大都市であるため、人口がとても多く、その数は全国三位の約八百八十万人、そのため、大阪のほとんどの地域は開発され、森林などの自然は、ほとんど残されていない。それに比べ、和歌山の人口は全国四十位の九十四万人。県も問題視するほど、過疎化が進んでいる。しかし、その反面、豊かな自然が多く残されている。
 そこで僕は思った。大阪のように人口が集中し、発展した街の方が海が汚れるということは、これから先、日本が、世界がどんどん発展し、近未来化していけば、海がもっと汚れるのではないかと。
 今からおよそ六十年前、日本は高度経済成長期という、急速に産業が成長した時代だった。それにより、日本の企業の工場はすさまじいスピードで進化していった。しかし、工場の進化は良いことだけでなく、悪いことでもあった。進化したとはいえ、環境への影響はほとんど考えられておらず、企業が考えていたのは、ただただ生産量の向上だけだった。そのため、工場から海に流れた有毒物質によって、全国で多くの公害が発生し、今もなお、公害による病に苦しむ人がいる。
 六十年前にこんな問題が発生したというのに、現代の多くの人々は自らが海を汚している、汚すことになる行為をしていることに気がついていない。今、僕たちが本当にするべきなのは、機械や製品の近未来化といった難しいことではなく、一人一人が意識すれば簡単な、海を守るということだと僕は思う。

 

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2018年12月01日